2011年1月18日星期二

第3課 [エネルギー物語]

第3課 [エネルギー物語]

3能源故事

十八世紀後半に起こった産業革命以来、人類は、石炭や石油などのいわゆる化石燃料をどんどん燃やして文明を発展させてきた。しかし、この天然の資源は無限に存在するわけではない。特に石油は、今後数十年で底を突くと予測されている。何らかの対策を取らねばということで、石油に替わる新たなエネルギー源として登場したのが、原子力であった。

18世纪后半发生的工业革命以来,人类,通过不断燃烧煤炭呀石油等所谓的化石燃料将文明发展至今。但是,这天然的资源并不是无限存在的。特别是石油,被预测今后数十年会见低。要说必须采取什么对策的话,作为代替石油的新能源登场的是,原子力。

今日我々が、いかにこの原子力と切っても切れない生活を送っているかということは、数字の上からも明らかである。二〇〇四年現在、運転されている原子炉の数は、世界三十か国以上で四百を上回っている。中でもフランスは、総電力の七割を原子力発電に依存せざるを得ない現状にある。日本の場合も、一九六十三年初の発電に成功してからというもの、開発に拍車がかけられ、二〇〇三年現在、約五十の原子炉が運転され、原子力発電の割合は総発電量の三分の一を占めるまでになっている。さらに、今建設計画中のものがすべて完成すれば将来、総発電量の四十%が原子力によって賄われることになり、正になくてはならないエネルギー源である。

现在的我们,是如何过着和原子力切也切不断的生活,在数字上也是很明确的。2004年现在,运行着的原子炉的数量,世界30国以上超过了400。其中法国,总电力的7成现状是必须依存于原子力发电的。日本的场合,1963年第一次的发电成功开始,开发也快马加鞭,2003年现在,大约50的原子炉被运行,原子力发电的比重占到了发电总量的3分之1。另外,现在建设计划中的全部完成的话,将来,总发电量的百分之40会由原子力负担,真是必不可少的能源。

しかしながら、一九八六年、旧ソ連のチェルノブイリ原子力発電所で起こった事故が理想のエネルギー源「原子力」の見直しを迫る契機となった。作業中の職員二人を含め、死亡者三十一人にも上るという史上最悪の爆発事故であった。発電所から漏れた放射能は、周辺諸国の土壌を汚染し、農産物に大きな被害を与え、さらに、その農産物を輸入している国を含め、広い範囲に被害を及ぼした。そればかりか、白血病をはじめとするいわゆる原爆症が、事故現場の周辺はもとより、かなり広い地域で現在でも住民を苦しめている。放射能の被害は恐ろしい限りだ。日本でも、これほど大規模ではないが、原子力発電の是非が問われるような事故が何度も起こっている。

但是,1968年,旧苏联的切尔诺贝利核电站发生的事故成为迫使重新认识理想能源"原子力"的契机。包括作业中的2名职员,死亡者有31人这是史上最严重的爆炸事故。从发电站泄漏的放射能,污染了周边各国的土壤,给农作物造成巨大的危害,另外,包括进口那些农作物的国家,引起了广范围的危害。不仅如此,以白血病为首的所谓原爆症,以事故现场的周边为中心,在相当广泛的地域直到现在住民还在经受着痛苦。发射能的危害真是太恐怖了。在日本,虽然没有如此大规模的,考验原子力发电是非的事故也发生了几次。

技術開発が進歩するにつれて、原子炉の安全性は確かに増すであろう。しかし、どんなに技術が進歩しようが、また、原子炉の管理がいくら厳重になろうが、事故が起これば、それまでだ。その規模がチェルノブイリを超えるような事故、万一、そんな事故でも起ころうものなら、被害は計り知れない。こうした放射能の危険性を恐れて、既にドイツ、ベルギー、スウェーデンなどでは、段階的に原子炉を破棄し、新しいエネルギー源に切り替える方針を打ち出している。

随着技术开发的进步,原子炉的安全性的确是增加了吧。但是,无论技术如何进步,或者,原子炉的管理有多么的严格,事故发生的话,就啥都完了。规模超过切尔诺贝利的事故,万一,发生了那样的事故,被害是不可计量的。这样害怕发射能的危险性,在德国,比利时,瑞典等国已经打出了阶段性的废弃原子炉,切换到新能源的方针。

新しいエネルギー源の開発は、大気汚染、酸性雨、地球の温暖かなどの環境問題を解決するためにも欠かせない。世界各国で政府主導の下、様々な研究開発が進められている。生ゴミなどの廃棄物、麦わらなど活用されていない農産資源、そして、いも、大豆などの資源作物を活用したバイオマス燃料の開発などは、地球上の二酸化炭素をこれ以上増やさない燃料開発の代表的な例である。こうした研究開発の成果として、水力、風力、太陽光を利用した発電、また、廃棄物処理の熱を利用した発電など既に一部実用化されているものもあるが、まだまだ十分に需要を満たす状況ではない。

バイオマス (biomass)

新能源的开发,对于解决大气污染,酸雨,地球温暖化等能源问题是不可或缺的。在世界各国政府的主导下,进行着各种各样的研究开发。利用生垃圾等废弃物,麦秆等没有被利用的农业资源,以及,芋,大豆等资源作物的生物燃料的开发等,是不增加地球上二氧化碳的燃料开发的代表例子。作为这样的研究开发的成果,利用水力,风力,太阳光发电,以及,利用废弃物处理的热量发电等已经有些部分实用化了,但是还没有到达完全满足需要的状况。

新エネルギー源の開発が進められてはいるが、実用化し現在のエネルギー需要に応えられるようになるまでには、まだ相当の時間が必要とされるであろう。こうした状況の下でエネルギー問題を考えるとき、今、何よりも大切なことは、エネルギー消費量の削減努力である。現在の繁栄を維持するために、より便利で豊かな生活を実現するために、エネルギー消費を増やし続け、環境汚染を悪化させるようであってはならない。無駄な電気を消し、エアコンの利用を控える。省エネを進め、少しでもエネルギー消費を減らし、未来のために地球を守ることは、現代に生きる我々が問われている大きな責任なのである。

新能源的开发在进行,但是在能够满足现在的能源需要之前,还需要相当长时间吧。在这种状况下思考能源问题的时候,现在,比什么都重要的是,努力削减能源的消耗量。为了维持现在的繁荣,为了时间更加便利丰富的生活,继续增加能源消费,恶化环境污染是不可取的。关闭多余的电器,控制空调的使用。进行省能源,尽可能的加少能源消费,为了未来而保护地球,是生活在摆在现在的我们面前的重大责任。

2011年1月10日星期一

自己紹介で好印象をあたえよ

● どんなことばで

自己紹介では、自分の性格について話すことがあります。どのように話せば自分らしさを伝えられるか考えてみましょう。

1)次の自己紹介は自分の悪い面も話していますが、どう思いますか。

僕は、一見冷たそうで暗い人間に見られがちなんですが、実は、とてもひょうきんなところもあるんです。うそだと思うなら、一度、僕と一緒にカラオケに行きませんか。きっと、印象ががらりと変わると思いますよ。

あなたの考えと同じものに○をつけましょう。

A) 自分の欠点は、ほかの人に言わない方がいい。

B) 欠点は誰にでもあるから、少しくらいは言ってもいい。

C) 自分をよく知ってもらうためには、欠点も積極的に言ったほうがいい。

2)次の右と左のことばで、反対のイメージをもっているものを線で結んでください。いいイメージで使われることばには(+)、よくないイメージで使われることばには(-)、どちらにも使われることばには(+-)をつけてあります。

①(+)さっぱりした ⇒ (-)しつこい

②(+)活発な ⇒ (+-)おとなしい

③(+)気さくな ⇒ (-)気難しい

④(+)粘り強い ⇒ (-)あきっぽい

⑤(+)おおらかな ⇒ (-)神経質な

⑥(-)せっかちな ⇒ (+-)のんびりした

⑦(+)すなおな ⇒ (-)強情な (ごうじょう)

⑧(+-)楽天的な ⇒ (-)くよくよする

例文:

この料理はとてもしつこい。/油腻

しつこくたずねる/追根问底

かれはしつこいひとだ。/执拗

気さくに頼みを聞いてくれた。/爽快

明るくて気さくな人/好说话。

誰にでも気さくに話しかける。/敞亮

おおらかな性格/こころがゆったりとして、細かいことにこだわらないさま。

すなおな子供/老实

彼は素直に育った。/淳朴

素直さが足らない。/不够老师

3)次の1-8に当てはまる言葉を選んでください。

① 乗り物の中でお年寄りや赤ちゃんを抱いた人に席をゆずってあげる。(思いやりがある。)

② 始めて会った人にでも気軽に話しかけられる。(社交的な)

③ 部屋はいつも散らかっていて、身なりにも気を配らない。(だらしない)

④ ほかの人の意見を聞かず、自分の意見ばかり通そうとする。(強調性がない)

⑤ つまらないことに、すぐ腹を立てたり、どなったりする。(怒りっぽい)

⑥ 時間に正確で、何でもきちんとするのが好きだ。(きちょうめん)

⑦ 約束したことや頼まれたことは、忘れずに最後まで必ずやる。(責任感がある)

⑧ ゲームで負けたり、悪い点を取ったりすると、とても悔しがる。(負けず嫌い)

4)人の性格や印象を述べるとき、AとBのどちらを使ったほうがいいと思いますか。その理由も考えましょう。

① A:私は我慢強いです。

B:私はどちらかというと、我慢強いほうです。

② A:私は強情です。

B:わたしは強情なところ(面)があります。

③ A:慎重というより実行力に欠けています。

B:よく言えば慎重ですが、悪く言えば実行力に欠けているとも言えます。

④ A:気難しく見えます。

B:気難しそうな感じがします。

5)自分で思っている性格とほかの人から言われる性格が違っていることがあります。表に書いて比べて見ましょう。

自分で思っている性格:XXX

ほかのひとから言われる性格:YYY

● 何をどんな順序で

1)自己紹介では、場面に合わせて印象的な内容を話すことも重要です。

2011年1月5日星期三

第1課 [コロンブスの卵]

第1課 [コロンブスの卵]

1哥伦布的卵

今年の留学生スピーチコンテストでのことです。同じような発表が続いて少々うんざりしかけていたとき、「日本に来て初めて、桜の美しくさが分かりました」という張さんの言葉に「おやっ」と思いました。

这是今年的留学生讲演竞赛上的事情。对同样的发表有点厌倦的时候。"来到日本第一次明白的樱花之美"听到了小张的这句话,不禁心想"诶呀"。

…もちろん、日本へ来るまでにも、テレビや写真で桜を見たことはありました。が、この花がどうしてそんなにも日本人の心を捕らえるのかが、私には分かりませんでした…

…当然,来日本之前,在电视呀照片上看到过樱花,而这花为何如此征服日本人的内心,我那时候是不明白的…

 私はいつの間にか、真剣に張さんの話に耳を傾けていました。

我不知在什么时候,认真的开始倾听小张的发言了。

…私が知っていた桜は動かない桜でした。美しく咲いてすぐに散ってしまう桜を、私は知りませんでした。花の美しさもさることながら、その命の短さが人の心を捕らえるのだということが、自分の目で桜を見て始めて分かりました。雪のように散る桜、動く桜が私の心を打ったのです…

…我所了解的是樱花不动的樱花。对于那美丽的开放有骤然凋零的樱花,我是不曾了解的。亲眼见到樱花之后才开始明白,花儿虽美却不免凋零,征服人内心的在于其生命之短暂。如雪花散落的樱花,动的樱花打动了我的心…

 舞台の中央で心を込めて語り続ける張さんの姿が、次第に、大好きだった中学校時代の国語の先生の姿に重なっていきました。

在舞台的中央用心讲演的小张的身影,渐渐地,和中学时代非常喜欢的国语老师的身影重合了。

 先生がその話をされたのは二十年余りも前のことです。確か、俳句の授業の途中で、みんなアイディアが浮かばなくて困っていたときのことだったと思います。

老师说那番话的是20多年前的事情。我想应该是,在上俳句课的时候,大家都浮想不起来什么点子比较困惑的时候。

…昨日、友人の結婚式に行ってきました。あいにく頼まれたあいさつはうまくいかず、失敗してしまいましたが、それはともかくとして、帰りの電車で、私は偶然大発見をしました。

…昨天,去了友人的结婚典礼。不巧受人所托的讲话不太顺利,失败了,这就别提了,在回来的电车上,我偶然间做了一个大发现。

昨日、友人の結婚式に行ってきました。あいにく頼まれたあいさつはうまくいかず、失敗してしまいましたが、それはともかくとして、帰りの電車で、私は偶然大発見をしました。

「大発見」の一言に、みんな私語をやめ、一斉に先生の顔を見つめ、話の続きを待ちました。

听到"大发现"这句话,大家都停止的私语,一起朝老师的脸看去,等待着下面的话。

ここから見える、ほら、あの山が全く反対の形をしているんです。みんなは当たり前のことだと言うでしょうが、普段見慣れている山が、全く逆の形に見えたのです。その驚きといったら…

从这里能看见,看,那座山全然是相反的形状。大家或许会说这是理所当然的吧,但平常已经看熟悉的山,看起来却是全然是逆着的形状。要说那种惊奇…

先生の友達の結婚式は、私たちが教室から毎日見ている山の反対側の町であったのだそうです。それで、帰りの電車の中から見た山がちょうどスライドの表裏が逆になったときのように、いつもとは左右が逆に見えたのでしょう。今ではどんな俳句を作ったかなんて、すっかり忘れてしまいましたが、先生ならではのユーモアを交えながら、私たちに伝えようとされた先生の「大発見」、そして「立場を変えて、見方を変えて、考えてみなさい。既に、見て、聞いて知っていると思い込んでいる物が、それまでとは全然違う形に見えることもありますよ」というそのときのメッセージは、今でも鮮明に覚えています。

老师朋友的婚礼,据说举行在和我们每日从教室看见的那座山的对面的镇上。这样,返程的电车中看见的山正好像幻灯片里外相反时那样,看起来不就和往常左右相反了吗。现在已经完全忘记那时做了什么俳句了,但是现在还鲜明的记着,夹杂着老师特有的幽默,想向我们传达的老师的"大发现",以及那个时候的讲话"改变立场,改变看法,之后再去思考。我们认为已经看到的,听到的,了解到的事物,有的时候看起来会和往常全然不同"。

張さんの言う「動く桜」も先生の「大発見」も、いずれも、私には「コロンブスの卵」でした。「コロンブスの卵」という言葉は、後で考えれば誰でも考えつきそうで、簡単にできそうな発明や発見も、それを最初にやることの難しさをたとえるのに使われます。アメリカ大陸発見なんて、大騒ぎするには当たらないことだ。そんなこと誰にだってできると言われたコロンブスが、それなら卵を立ててみろと言ったというエピソードは、皆さんもご存知だと思います。ここでの私の言葉の使い方は、その本来の意味から言うと、少しずれているかもしれません。しかし、張さんが「働く」と言った桜の話や、左右が逆に見える山の形を「大発見だ」と思った先生の話に、そんなことなど考えてみることすらなかった私は、「私たちが見ているのは、あくまでも、物の一面に過ぎないんだ」と、目からうろこが落ちる思い、まさに、目の前に事もなげに立てられた「コロンブスの卵」だったのです。

不管是小张说得"动的樱花"还是老师的"大发现",对我来说都是"哥伦布的卵"。所谓"哥伦布的卵"这个词,用来比喻事后想的话谁都可以想出来,可简单做出的发明和发现也一样,能最初去做这有多么的困难。无非是发现美洲大陆而已,没有必要大惊小怪的。这种事谁都可以做到,被人这样说哥伦布,说到,既然这样那么,把鸡蛋立起来如何,这个故事,想必大家都知道。在这里,我的用词方法,按照它本来的含义来说,可能有少许一些偏差。但是,对于小张的"动的"樱花的讲话,以及认为看起来左右相反的山的形状是"大发现"的老师的讲话,连想都没想过的那种事的我,恍然大悟"我们看到的,不过是事物的一个方面"。这真是,在眼前若无其事的立起来的"哥伦布的卵",

張さんのスピーチを聞いて、私は、姿や形は知っていても、「動く美しさを知らない桜」が、世界中にはまだたくさんあるのだろうなと思いました。でも、天ではなく地球が動くのだと考えついた人、地球の中心にりんごを引っ張る力があるのだと思いついた人など、歴史上で天才と呼ばれる人たちと私たち普通の人間との違いは、案外ちょっとしたことなのかもしれないなどとも考えました。

听着小张的讲演,我想,就算了解姿态形状,"不了解动的美的樱花"世界中还会有很多吧。但是,想到不是天在动而是地球在动的人,想道地球中心存在吸引苹果的力的人,这些历史上被称作天才的人们和我们普通的人的区别,或许在于出乎意外的细节之中。

全国の大学、短大、専門学校を代表する二十人の出場者が競った今回のスピーチコンテスト。張さんが最優秀賞を受賞しました。

代表全国的大学,短,专门学校20人的出场者参与的这次演讲比赛,小张的到了最优秀奖。