2011年1月5日星期三

第1課 [コロンブスの卵]

第1課 [コロンブスの卵]

1哥伦布的卵

今年の留学生スピーチコンテストでのことです。同じような発表が続いて少々うんざりしかけていたとき、「日本に来て初めて、桜の美しくさが分かりました」という張さんの言葉に「おやっ」と思いました。

这是今年的留学生讲演竞赛上的事情。对同样的发表有点厌倦的时候。"来到日本第一次明白的樱花之美"听到了小张的这句话,不禁心想"诶呀"。

…もちろん、日本へ来るまでにも、テレビや写真で桜を見たことはありました。が、この花がどうしてそんなにも日本人の心を捕らえるのかが、私には分かりませんでした…

…当然,来日本之前,在电视呀照片上看到过樱花,而这花为何如此征服日本人的内心,我那时候是不明白的…

 私はいつの間にか、真剣に張さんの話に耳を傾けていました。

我不知在什么时候,认真的开始倾听小张的发言了。

…私が知っていた桜は動かない桜でした。美しく咲いてすぐに散ってしまう桜を、私は知りませんでした。花の美しさもさることながら、その命の短さが人の心を捕らえるのだということが、自分の目で桜を見て始めて分かりました。雪のように散る桜、動く桜が私の心を打ったのです…

…我所了解的是樱花不动的樱花。对于那美丽的开放有骤然凋零的樱花,我是不曾了解的。亲眼见到樱花之后才开始明白,花儿虽美却不免凋零,征服人内心的在于其生命之短暂。如雪花散落的樱花,动的樱花打动了我的心…

 舞台の中央で心を込めて語り続ける張さんの姿が、次第に、大好きだった中学校時代の国語の先生の姿に重なっていきました。

在舞台的中央用心讲演的小张的身影,渐渐地,和中学时代非常喜欢的国语老师的身影重合了。

 先生がその話をされたのは二十年余りも前のことです。確か、俳句の授業の途中で、みんなアイディアが浮かばなくて困っていたときのことだったと思います。

老师说那番话的是20多年前的事情。我想应该是,在上俳句课的时候,大家都浮想不起来什么点子比较困惑的时候。

…昨日、友人の結婚式に行ってきました。あいにく頼まれたあいさつはうまくいかず、失敗してしまいましたが、それはともかくとして、帰りの電車で、私は偶然大発見をしました。

…昨天,去了友人的结婚典礼。不巧受人所托的讲话不太顺利,失败了,这就别提了,在回来的电车上,我偶然间做了一个大发现。

昨日、友人の結婚式に行ってきました。あいにく頼まれたあいさつはうまくいかず、失敗してしまいましたが、それはともかくとして、帰りの電車で、私は偶然大発見をしました。

「大発見」の一言に、みんな私語をやめ、一斉に先生の顔を見つめ、話の続きを待ちました。

听到"大发现"这句话,大家都停止的私语,一起朝老师的脸看去,等待着下面的话。

ここから見える、ほら、あの山が全く反対の形をしているんです。みんなは当たり前のことだと言うでしょうが、普段見慣れている山が、全く逆の形に見えたのです。その驚きといったら…

从这里能看见,看,那座山全然是相反的形状。大家或许会说这是理所当然的吧,但平常已经看熟悉的山,看起来却是全然是逆着的形状。要说那种惊奇…

先生の友達の結婚式は、私たちが教室から毎日見ている山の反対側の町であったのだそうです。それで、帰りの電車の中から見た山がちょうどスライドの表裏が逆になったときのように、いつもとは左右が逆に見えたのでしょう。今ではどんな俳句を作ったかなんて、すっかり忘れてしまいましたが、先生ならではのユーモアを交えながら、私たちに伝えようとされた先生の「大発見」、そして「立場を変えて、見方を変えて、考えてみなさい。既に、見て、聞いて知っていると思い込んでいる物が、それまでとは全然違う形に見えることもありますよ」というそのときのメッセージは、今でも鮮明に覚えています。

老师朋友的婚礼,据说举行在和我们每日从教室看见的那座山的对面的镇上。这样,返程的电车中看见的山正好像幻灯片里外相反时那样,看起来不就和往常左右相反了吗。现在已经完全忘记那时做了什么俳句了,但是现在还鲜明的记着,夹杂着老师特有的幽默,想向我们传达的老师的"大发现",以及那个时候的讲话"改变立场,改变看法,之后再去思考。我们认为已经看到的,听到的,了解到的事物,有的时候看起来会和往常全然不同"。

張さんの言う「動く桜」も先生の「大発見」も、いずれも、私には「コロンブスの卵」でした。「コロンブスの卵」という言葉は、後で考えれば誰でも考えつきそうで、簡単にできそうな発明や発見も、それを最初にやることの難しさをたとえるのに使われます。アメリカ大陸発見なんて、大騒ぎするには当たらないことだ。そんなこと誰にだってできると言われたコロンブスが、それなら卵を立ててみろと言ったというエピソードは、皆さんもご存知だと思います。ここでの私の言葉の使い方は、その本来の意味から言うと、少しずれているかもしれません。しかし、張さんが「働く」と言った桜の話や、左右が逆に見える山の形を「大発見だ」と思った先生の話に、そんなことなど考えてみることすらなかった私は、「私たちが見ているのは、あくまでも、物の一面に過ぎないんだ」と、目からうろこが落ちる思い、まさに、目の前に事もなげに立てられた「コロンブスの卵」だったのです。

不管是小张说得"动的樱花"还是老师的"大发现",对我来说都是"哥伦布的卵"。所谓"哥伦布的卵"这个词,用来比喻事后想的话谁都可以想出来,可简单做出的发明和发现也一样,能最初去做这有多么的困难。无非是发现美洲大陆而已,没有必要大惊小怪的。这种事谁都可以做到,被人这样说哥伦布,说到,既然这样那么,把鸡蛋立起来如何,这个故事,想必大家都知道。在这里,我的用词方法,按照它本来的含义来说,可能有少许一些偏差。但是,对于小张的"动的"樱花的讲话,以及认为看起来左右相反的山的形状是"大发现"的老师的讲话,连想都没想过的那种事的我,恍然大悟"我们看到的,不过是事物的一个方面"。这真是,在眼前若无其事的立起来的"哥伦布的卵",

張さんのスピーチを聞いて、私は、姿や形は知っていても、「動く美しさを知らない桜」が、世界中にはまだたくさんあるのだろうなと思いました。でも、天ではなく地球が動くのだと考えついた人、地球の中心にりんごを引っ張る力があるのだと思いついた人など、歴史上で天才と呼ばれる人たちと私たち普通の人間との違いは、案外ちょっとしたことなのかもしれないなどとも考えました。

听着小张的讲演,我想,就算了解姿态形状,"不了解动的美的樱花"世界中还会有很多吧。但是,想到不是天在动而是地球在动的人,想道地球中心存在吸引苹果的力的人,这些历史上被称作天才的人们和我们普通的人的区别,或许在于出乎意外的细节之中。

全国の大学、短大、専門学校を代表する二十人の出場者が競った今回のスピーチコンテスト。張さんが最優秀賞を受賞しました。

代表全国的大学,短,专门学校20人的出场者参与的这次演讲比赛,小张的到了最优秀奖。

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