2009年5月31日星期日

「お酒を飲む」文化 V2修正後

CHO

6共通点・類似点・相違点:あなたの国と日本との習慣の違い(食事のマナー・休日の過ごし方など)を話し合いなさい。

 

お酒を飲まない国はないだろう。もしお酒がなければ、「明月幾時有、把酒問青天」などの詩句なかっただろう。お酒は文化の重要構成要素と言えると思います。また、お酒の味が国によって違いがあると同じように、「酒文化」も国によって違いがあるようです。「酒文化」と言えば、お酒の歴史、種類、産地、製造工程などのお酒に関わることの全てだと思いますが、僕はお酒には詳しくないので、「お酒を飲む」文化という単純な視点から話を進めたいと思います。

 友人同士でも会社同士でもビジネス場でも、多くの社会人にとって、社交、ストレス解消、ビジネスの達成などのために、お酒は欠かせないものだろう。こういう点では、日本と中国が同じだと思います。ただし、「お酒を飲む」文化は日本と中国はずいぶん違います。日本では、「自分のお酒を自分で飲む」という感覚が強いです。つまり、お酒の場で自分の好き量だけを飲むことは普通です。それに対して、中国では、「皆のお酒を皆で飲む」という場面が多いです。つまり、お酒の場で、自分の好き量だけを飲むことではなく、皆で決める量を飲まなければなりません。飲めない場合には、駄目の人間とか、友情が足りないとか、ビジネスの誠意がたりないとか、思われ勝ちです。そして、出世しよう男にとって、たくさんのお酒を飲めることは、重要な武器になります。

 僕は日本の「お酒を飲む」文化のほうが好きです。自分の好き量だけを飲むことは、一番健康的な飲み方ではないかと思います。日本に来てから3年間、お酒を飲みすぎたことは一度も無かったです。それに対して、中国で社会人としての5年間、お酒を飲みすぎた回数は数え切れませんでした。飲みすぎた度に、次回は必ず控えようと思いましたが、結局、次回もやむを得ずに飲みすぎました。これが原因で、痔もなりました。一体何故そこまで飲まなければならないでしょうか。まだ分からないけれど、多分文化というものに逆らう(さからう)ことは非常に難しいからと思います。

 今僕は日本で「自分のお酒を自分で飲む」で健康的に暮らしています。一方、中国にいる昔の友人、知人たちは前のまま「皆のお酒を皆で飲む」の世の中で出世したり、飲みすぎたりしています。僕は中国の「お酒を飲む」文化が好きではないですが、やはり、中国文化の一部分としての「お酒を飲む」文化を失いたくないです。これからどうすればいいでしょうか。出世せずに、いまのまま日本で健康的に生活していくことは正しいでしょうか。もしくは、中国に帰って、昔の生活に戻ればどうでしょうか。もしかしたら、僕は「お酒を飲む」文化をまだまだ十分理解していないかもしれません。

「お酒を飲む」文化    V1修正前

6共通点・類似点・相違点:あなたの国と日本との習慣の違い(食事のマナー・休日の過ごし方など)を話し合いなさい。

 

お酒を飲まない国はないだろう。もしお酒がなければ、「明月幾時有、把酒問青天」などの詩句なかっただろう。お酒は文化の重要構成要素と言えると思います。また、お酒の味が国によって違いがあると同じように、「酒文化」も国によって違いがあるようです。「酒文化」と言えば、お酒の歴史、種類、産地、製造工程などのお酒に関わることの全てだと思いますが、僕はお酒には詳しくないので、「お酒を飲む」文化という単純な視点から話を進めたいと思います。

 友人同士でも会社同士でもビジネス場でも、多くの社会人にとって、社交、ストレス解消、ビジネスの達成などのために、お酒は欠かせないものだろう。こういう点では、日本と中国が同じだと思います。ただし、「お酒を飲む」文化は日本と中国はずいぶん違います。日本では、「自分のお酒を自分で飲む」という感覚が多いです。つまり、お酒の場で自分の好きの量だけを飲むことは普通です。それに対して、中国では、「皆のお酒を皆で飲む」という場面が多いです。つまり、お酒の場で、自分の好きの量だけを飲むことではなく、皆で決める量を飲まなければなりません。飲めない場合には、駄目の人間とか、友情が足りないとか、ビジネスの誠意がたりないとか、思われ勝ちです。そして、出世しよう男にとって、たくさんのお酒を飲めることは、重要な武器になります。

 僕は日本の「お酒を飲む」文化のほうが好きです。自分の好きの量だけを飲むことは、一番健康的な飲み方ではないかと思います。日本に来てから3年間、お酒を飲みすぎたことは一度も無かったです。それに対して、中国で社会人としての5年間、お酒を飲みすぎた回数は数え切れませんでした。飲みすぎた度に、次回は必ず控えると思いましたが、結局、次回もやむを得ずに飲みすぎました。この原因で、痔もなりました。一体何故そこまで飲まなければならないでしょうか、未だ分からないけど、多分文化というものに逆らう(さからう)ことは非常に難しいではないかと思います。

 今僕は日本で「自分のお酒を自分で飲む」で健康的に暮らしています。一方、中国にいる昔の友人、知人たちは前のまま「皆のお酒を皆で飲む」の世の中で出世したり、飲みすぎしたりしています。僕は中国の「お酒を飲む」文化が好きではないですが、やはり、中国文化の一部分としての「お酒を飲む」文化を失いたくないです。これからどうすればいいでしょうか。出世せずに、いまのまま日本で健康的に生活していくことは正しいでしょうか。もしくは、中国に帰って、昔の生活に戻ればどうでしょうか。もしかしたら、僕は「お酒を飲む」文化を理解したことは一度も無かったかもしれません。

2009年5月30日星期六

6、共通点・類似点・相違点

作文技術:

共通:ABも〜と言う点では 同じだ/変わらない/変わりがない

比較・対照:Aは、Bにくらべると、〜

      Aは〜が、(しかし、)Bは〜

      Aが〜のに対して、Bは〜

      Aは〜。{一方、}         Bは〜

         {それ/これ に対して、}

         {それ/これ にくらべて、}

      Aより(も)Bのほうが〜

相違:(ABかは)〜によって違いがある

その他の重要表現:

[場合] (日本)では、〜。

[伝聞] 〜によると、〜そうだ。

 

:アジェンダさんから国の習慣について次のような報告があった。

 

 日本でも私の国でも、病気の人を見舞うときに何か適当なものをもっていくのがふつうである。花が喜ばれる品物の一つであるという点では変わりがない。しかし、どんな花をもっていくかは。国によって違いがあるようだ。

 日本では、鉢植え(はちうえ)の花よりもカーネーションやバラなどの「花束」のほうが一般的なようだ。友だちの話によると、鉢植えの花は「根がついている」ので、「寝つく」、つまり、「病気を治らず、ずっと寝たままになる」ということを連想されてしまうそうだ。そのため、根を切り取った花をもって行くのがマナーになっている。それに対して、私の国では一般に鉢植えの花のほうが喜ばれる。鉢植えは、普通の花束にくらべるとずっと長持ちするので、「長生き」につながるからだ。そういう意味で、日本では造花を見舞いに持っていくことがタブーだが、私の国ではそうではない。それはごく普通のことである。

2009年5月10日星期日

高尾山に登ろう V2.0 修正後バージョン

練習:あなたが今までに読んだ本、見た映画、旅行した所などを人に推薦する分を書きなさい。どうしてそれを推薦するのか、理由も説明しなさい。

 

高尾山登ろう

CHO

東京に来て 3年になりました。この都市では数えきれない電車があり、コンビニ、居酒屋、マクドナルド、本屋、スポーツセンタなどの便利な場所もいっぱいあります。生活に便利ですけど、たりないこともあると思います。それは近くに山が少ないことです。住む場所から一番近い山は高尾山で、電車で1時間ぐらいかかります。僕は東京でこの山しか登ったことがありません。この3年で3回この山に登りました。非常にいい山とは言えませんけれど、なかなか登る価値がある山だと思います。

インタネットで調べると、高尾山は「都民に最も親しまれている山。登山コースも幾つかあり、リフトやケーブルカーを利用すれば誰でも簡単に登れる。山頂からは新宿の高層ビルや富士山を望める。夜景もきれい。山麓では名物のとろろそばをぜひご賞味いただきたい。」という紹介があります。その中じゃない】、僕はリフトやケーブルカーを利用したことと山頂からは新宿の高層ビルや富士山を望めたことがありますが、とろろそばを食べたことありません。今度必ず食べてみたいと思います。

なぜ高尾山を登ります 可】かというと、以下の4点がポイントとなります。第1は、コストがあまりかからないことです。一時間の電車でいけので、時間もお金もそんなにかからないと思います。次に第2は、標高599mの山で、非常に登りやすいことです。高い山ではなく、登山コースも幾つかあり、リフトやケーブルカーもあり、誰でも簡単に登れます。第3のポイントは、高尾山山頂から相模湖にいけます。山だけでたりないでしょう。高尾山山頂から小仏城山山頂につき、そして、弁天橋を渡って、相模湖までいけます。結構長い道ですが、弁天橋を渡ってすぐ温泉があります。温泉に入って、山登りの疲れを癒し、ちょっとだけ相模湖をまわり、名前も知らない店で食事をして「相模湖駅」から家に帰ることは最高の日帰り旅でしょう。最後に、第4は、山を登ることは好きですから。趣味とはいえませんけど、やはり、山の中に育ちましたから、山を登ることは本能によるかもしれません。ときとぎ理由も無く、山を登りたくなります。その時に、一番近い山を登ることは自然のことです。山を登ると、故郷を思い出すことができます

これからいくつの山に登れるかはわかりませんが、やはり山登りということ よくない】は、どこの山を登るかそんなに重要ではないと思います。大切なのは、山を登りたいときに、登れる山があることです。東京にいる限り、僕は高尾山を登り続たいと思います。あなたは山を登ることは好きですか。では、高尾山登ろう。