子供時代の家
2009年2月8日
ナンサ、中国東北部に山に囲まれた小さな町で。「赤松の故郷」と呼ばれていたところです。子供時代から、僕はこの町で幼稚園、小学校、中学校、高等学校時代を経て、ほぼ20年の歳月を暮らした。家はこの町の中心の、駅から徒歩10分、区役所から徒歩10分、とても便利な所でした。ただし、僕の家は、マンションではなく、一戸建てもはなかった。
僕の家は、ある横町のコーナーにあった。その横町には、20世帯の家は繋がっていて、各世帯が自分の庭を持っていた。僕の家は、一番大きい庭があり、その庭のなかには、高い煙突があった。なぜか、僕にも理解できなかった。確かに、高い煙突があって、僕はよくその煙突を登って、煙突の上から、駅の電車や、映画館の前に太極拳をやっている人々も見えた。煙突の下に、いろんな野菜と花が植えられ、「降りろ!危ないぞ!」と言って、母親が僕に手を振っていた。外から見ると、区中心にある「農家」で、しかも、高い煙突が聳えていた。
秋になると、コスモスが咲いて、僕はミツバチを捕まえたり、鴨を追いかけたりした。疲れたら、部屋の中に戻って、中国饅頭に砂糖をつけて、食べてから、また外に遊びに行った。冬になると、庭の中に真っ白になって、父親と僕は雪だるまを作った。僕はよく煙突の下から、降っていた雪を仰ぎ見た。雪は煙突の上から散るように見えた。
僕は、幸せだった。花、鴨、饅頭、雪だるま、煙突などは僕の世界の全てだった。10年前に、新しいマンションを作る計画があった。僕の家、庭、コスモスなどは全部なくなった。残ったことは、その煙突しかなかった。
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