2009年5月31日星期日
「お酒を飲む」文化 V2修正後
6共通点・類似点・相違点:あなたの国と日本との習慣の違い(食事のマナー・休日の過ごし方など)を話し合いなさい。
お酒を飲まない国はないだろう。もしお酒がなければ、「明月幾時有、把酒問青天」などの詩句なかっただろう。お酒は文化の重要構成要素と言えると思います。また、お酒の味が国によって違いがあると同じように、「酒文化」も国によって違いがあるようです。「酒文化」と言えば、お酒の歴史、種類、産地、製造工程などのお酒に関わることの全てだと思いますが、僕はお酒には詳しくないので、「お酒を飲む」文化という単純な視点から話を進めたいと思います。
友人同士でも会社同士でもビジネス場でも、多くの社会人にとって、社交、ストレス解消、ビジネスの達成などのために、お酒は欠かせないものだろう。こういう点では、日本と中国が同じだと思います。ただし、「お酒を飲む」文化は日本と中国はずいぶん違います。日本では、「自分のお酒を自分で飲む」という感覚が強いです。つまり、お酒の場で自分の好きな量だけを飲むことは普通です。それに対して、中国では、「皆のお酒を皆で飲む」という場面が多いです。つまり、お酒の場で、自分の好きな量だけを飲むことではなく、皆で決める量を飲まなければなりません。飲めない場合には、駄目の人間とか、友情が足りないとか、ビジネスの誠意がたりないとか、思われ勝ちです。そして、出世しよう男にとって、たくさんのお酒を飲めることは、重要な武器になります。
僕は日本の「お酒を飲む」文化のほうが好きです。自分の好きな量だけを飲むことは、一番健康的な飲み方ではないかと思います。日本に来てから3年間、お酒を飲みすぎたことは一度も無かったです。それに対して、中国で社会人としての5年間、お酒を飲みすぎた回数は数え切れませんでした。飲みすぎた度に、次回は必ず控えようと思いましたが、結局、次回もやむを得ずに飲みすぎました。これが原因で、痔にもなりました。一体何故そこまで飲まなければならないでしょうか。まだ分からないけれど、多分文化というものに逆らう(さからう)ことは非常に難しいからと思います。
今僕は日本で「自分のお酒を自分で飲む」で健康的に暮らしています。一方、中国にいる昔の友人、知人たちは前のまま「皆のお酒を皆で飲む」の世の中で出世したり、飲みすぎたりしています。僕は中国の「お酒を飲む」文化が好きではないですが、やはり、中国文化の一部分としての「お酒を飲む」文化を失いたくないです。これからどうすればいいでしょうか。出世せずに、いまのまま日本で健康的に生活していくことは正しいでしょうか。もしくは、中国に帰って、昔の生活に戻ればどうでしょうか。もしかしたら、僕は「お酒を飲む」文化をまだまだ十分理解していないかもしれません。
「お酒を飲む」文化 V1修正前
6共通点・類似点・相違点:あなたの国と日本との習慣の違い(食事のマナー・休日の過ごし方など)を話し合いなさい。
お酒を飲まない国はないだろう。もしお酒がなければ、「明月幾時有、把酒問青天」などの詩句なかっただろう。お酒は文化の重要構成要素と言えると思います。また、お酒の味が国によって違いがあると同じように、「酒文化」も国によって違いがあるようです。「酒文化」と言えば、お酒の歴史、種類、産地、製造工程などのお酒に関わることの全てだと思いますが、僕はお酒には詳しくないので、「お酒を飲む」文化という単純な視点から話を進めたいと思います。
友人同士でも会社同士でもビジネス場でも、多くの社会人にとって、社交、ストレス解消、ビジネスの達成などのために、お酒は欠かせないものだろう。こういう点では、日本と中国が同じだと思います。ただし、「お酒を飲む」文化は日本と中国はずいぶん違います。日本では、「自分のお酒を自分で飲む」という感覚が多いです。つまり、お酒の場で自分の好きの量だけを飲むことは普通です。それに対して、中国では、「皆のお酒を皆で飲む」という場面が多いです。つまり、お酒の場で、自分の好きの量だけを飲むことではなく、皆で決める量を飲まなければなりません。飲めない場合には、駄目の人間とか、友情が足りないとか、ビジネスの誠意がたりないとか、思われ勝ちです。そして、出世しよう男にとって、たくさんのお酒を飲めることは、重要な武器になります。
僕は日本の「お酒を飲む」文化のほうが好きです。自分の好きの量だけを飲むことは、一番健康的な飲み方ではないかと思います。日本に来てから3年間、お酒を飲みすぎたことは一度も無かったです。それに対して、中国で社会人としての5年間、お酒を飲みすぎた回数は数え切れませんでした。飲みすぎた度に、次回は必ず控えると思いましたが、結局、次回もやむを得ずに飲みすぎました。この原因で、痔もなりました。一体何故そこまで飲まなければならないでしょうか、未だ分からないけど、多分文化というものに逆らう(さからう)ことは非常に難しいではないかと思います。
今僕は日本で「自分のお酒を自分で飲む」で健康的に暮らしています。一方、中国にいる昔の友人、知人たちは前のまま「皆のお酒を皆で飲む」の世の中で出世したり、飲みすぎしたりしています。僕は中国の「お酒を飲む」文化が好きではないですが、やはり、中国文化の一部分としての「お酒を飲む」文化を失いたくないです。これからどうすればいいでしょうか。出世せずに、いまのまま日本で健康的に生活していくことは正しいでしょうか。もしくは、中国に帰って、昔の生活に戻ればどうでしょうか。もしかしたら、僕は「お酒を飲む」文化を理解したことは一度も無かったかもしれません。
2009年5月30日星期六
6、共通点・類似点・相違点
作文技術:
共通:AもBも〜と言う点では 同じだ/変わらない/変わりがない
比較・対照:Aは、Bにくらべると、〜
Aは〜が、(しかし、)Bは〜
Aが〜のに対して、Bは〜
Aは〜。{一方、} Bは〜
{それ/これ に対して、}
{それ/これ にくらべて、}
Aより(も)Bのほうが〜
相違:(AかBかは)〜によって違いがある
その他の重要表現:
[場合] (日本)では、〜。
[伝聞] 〜によると、〜そうだ。
例:アジェンダさんから国の習慣について次のような報告があった。
日本でも私の国でも、病気の人を見舞うときに何か適当なものをもっていくのがふつうである。花が喜ばれる品物の一つであるという点では変わりがない。しかし、どんな花をもっていくかは。国によって違いがあるようだ。
日本では、鉢植え(はちうえ)の花よりもカーネーションやバラなどの「花束」のほうが一般的なようだ。友だちの話によると、鉢植えの花は「根がついている」ので、「寝つく」、つまり、「病気を治らず、ずっと寝たままになる」ということを連想されてしまうそうだ。そのため、根を切り取った花をもって行くのがマナーになっている。それに対して、私の国では一般に鉢植えの花のほうが喜ばれる。鉢植えは、普通の花束にくらべるとずっと長持ちするので、「長生き」につながるからだ。そういう意味で、日本では造花を見舞いに持っていくことがタブーだが、私の国ではそうではない。それはごく普通のことである。
2009年5月10日星期日
高尾山に登ろう V2.0 修正後バージョン
練習:あなたが今までに読んだ本、見た映画、旅行した所などを人に推薦する分を書きなさい。どうしてそれを推薦するのか、理由も説明しなさい。
高尾山に登ろう
CHO
東京に来て 3年になりました。この都市では数えきれない電車があり、コンビニ、居酒屋、マクドナルド、本屋、スポーツセンタなどの便利な場所もいっぱいあります。生活に便利ですけど、たりないこともあると思います。それは近くに山が少ないことです。住む場所から一番近い山は高尾山で、電車で1時間ぐらいかかります。僕は東京でこの山しか登ったことがありません。この3年で3回この山に登りました。非常にいい山とは言えませんけれど、なかなか登る価値がある山だと思います。
インタネットで調べると、高尾山は「都民に最も親しまれている山。登山コースも幾つかあり、リフトやケーブルカーを利用すれば誰でも簡単に登れる。山頂からは新宿の高層ビルや富士山を望める。夜景もきれい。山麓では名物のとろろそばをぜひご賞味いただきたい。」という紹介があります。その中で【にじゃない】、僕はリフトやケーブルカーを利用したことと山頂からは新宿の高層ビルや富士山を望めたことがありますが、とろろそばを食べたことはありません。今度必ず食べてみたいと思います。
なぜ高尾山を登りる【ます 可】かというと、以下の4点がポイントとなります。第1は、コストがあまりかからないことです。一時間の電車でいけるので、時間もお金もそんなにかからないと思います。次に第2は、標高599mの山で、非常に登りやすいことです。高い山ではなく、登山コースも幾つかあり、リフトやケーブルカーもあり、誰でも簡単に登れます。第3のポイントは、高尾山山頂から相模湖にいけます。山だけではたりないでしょう。高尾山山頂から小仏城山山頂につき、そして、弁天橋を渡って、相模湖までいけます。結構長い道ですが、弁天橋を渡ってすぐ温泉があります。温泉に入って、山登りの疲れを癒し、ちょっとだけ相模湖をまわり、名前も知らない店で食事をして、「相模湖駅」から家に帰ることは最高の日帰り旅でしょう。最後に、第4は、山を登ることは好きですから。趣味とはいえませんけど、やはり、山の中に育ちましたから、山を登ることは本能によるかもしれません。ときとぎ理由も無く、山を登りたくなります。その時に、一番近い山を登ることは自然のことです。山を登ると、故郷を思い出すことができます。
これからいくつの山に登れるかはわかりませんが、やはり山登りというの【こと よくない】は、どこの山を登るかはそんなに重要ではないと思います。大切なのは、山を登りたいときに、登れる山があることです。東京にいる限り、僕は高尾山を登り続けたいと思います。あなたは山を登ることは好きですか。では、高尾山に登ろう。
2009年4月26日星期日
高尾山を登ろう V1修正前
練習:あなたが今までに読んだ本、見た映画、旅行した所などを人に推薦する分を書きなさい。どうしてそれを推薦するのか、理由も説明しなさい。
高尾山を登ろう
CHO
東京に来て 3年になりました。この都市では数えきれない電車があり、コンピに、居酒屋、マクドナルド、本屋、スポーツセンタなどの便利な場所もいっぱいあります。生活に便利ですけど、たりないこともあると思います。それは近くに山が少ないことです。住む場所から一番近い山は高尾山で、電車で1時間ぐらいかかります。僕は東京でこの山しか登ったことがありません。この3年で3回この山に登りました。非常にいい山とは言えませんけれど、なかなか登る価値がある山だと思います。
インタネット上で調べると、高尾山は「都民に最も親しまれている山。登山コースも幾つかあり、リフトやケーブルカーを利用すれば誰でも簡単に登れる。山頂からは新宿の高層ビルや富士山を望める。夜景もきれい。山麓では名物のとろろそばをぜひご賞味いただきたい。」という紹介があります。その中に、僕はリフトやケーブルカーを利用したことと山頂からは新宿の高層ビルや富士山を望めたことがありますが、とろろそばを食べたこともありません。今度必ず食べてみたいと思います。
なぜ高尾山を登りますかというと、以下の4点がポイントとなります。第1は、コストがあまりかからないことです。一時間の電車でいけますので、時間もお金もそんなにかからないと思います。次に第2は、標高599mの山で、非常に登りやすいことです。高い山ではなく、登山コースも幾つかあり、リフトやケーブルカーもあり、誰でも簡単に登れます。第3のポイントは、高尾山山頂から相模湖にいけます。山だけでたりないでしょう。高尾山山頂から小仏城山山頂につき、そして、弁天橋を渡って、相模湖までいけます。結構長い道ですが、弁天橋を渡ってすぐ温泉があります。温泉に入って、山登りの疲れを癒し、ちょっとだけ相模湖をまわり、名前も知らない店で食事をしてから「相模湖駅」から家に帰ることは最高の日帰り旅でしょう。最後に、第4は、山を登ることは好きですから。趣味とはいえませんけど、やはり、山の中に育ちましたから、山を登ることは本能になるかもしれません。ときとぎ理由も無く、山を登りたくなります。その時に、一番近い山を登ることは自然のことになります。山を登ると、故郷を思い出せます。
これからいくつの山に登れるかもわかりませんが、やはり山登りということは、どこの山を登るかはそんなに重要じゃないと思います。大切なのは、山を登りたいときに、登れる山があることです。東京にいる限り、僕は高尾山を登り続きたいと思います。あなたは山を登ることは好きですか。では、高尾山を登ろう。
2009年4月25日星期六
5、行為の理由・目的
作文技術:
目的:[〜し]に(行く/来る)
[〜する]ために
理由:B。なぜならAだからだ。
Bのは、Aからだ/ためだ。
Aしたい。そのため(に)、Bする。
希望:[〜し]たい
[〜し]たいと思っている
意図:う/よう(かな)と 思っている/考えっている
その他の重要表現:
[提案][〜しては/したら]どうだろう(か)
拝啓
その後いかがお過ごしでしょうか。教科書によると、日本はいま梅雨の季節のようですが、梅雨はいつまでつづくのでしょうか。こちらでは毎日いい天気です。
先生が日本へお帰りになってから、私はときどきクラスの友だちと先生のことを話し合っています。友だちはみんな一度日本へ行ってみたいと言っています。もちろん私も同じ気持ちです。
実は、そのことでご相談したいと思い、この手紙を書くことにしました。
私は、大学を卒業したら、日本へ行って日本語の勉強をつづけたいと考えています。私は将来日本語の先生になりたいと思っていますが、そのためには、日本語の文法や表現方法について、もっと深く研究しなければならないと考えています。私が日本へ日本語の勉強に行くことについて、先生はどうお考えになりますか。賛成していただけるでしょうか。こちらでは情報が少ないので、先生に教えていただければ大変ありがたいです。私の希望は、修士の学位をとることですが、もし可能なら、博士課程まで進みたいと思っています。
また、日本は学費や生活費がかなり高いと聞いていますが、一か月どのくらい準備すればいいでしょうか。経済的なことは両親とも相談していますが、この点についても、何かアドバイスがありましたら、お願いいたします。
それでは、めんどうお願いですが、どうか宜しくお願いいたします。また、お便りいたします。ご家族の方によろしくお伝えください。
敬具
20XX年
筆者
練習:あなたが今までに読んで本、見た映画、旅行した所などを人に推薦する分を書きなさい。どうしてそれを推薦するのか、理由も説明しなさい。
2009年3月8日星期日
4物事の因果関係1(いんが)
作文技術:
因果関係:A(の)ため(に)、B。 A(の)おかげで、B。
B(の)はAしたためだ。 B(の)はAした おかげだ。
A(の)せいで、B。
B(の)はAした せいだ。
その他の重要表現:
[範囲]〜から〜まで
[添加てんか]その上、〜 それに、〜
[変化][イ形容詞]くなる [動詞]ようになる
最近、私は住んでいるアパートのとなりにコンビニエンス・ストアが出来た。コンビニエンス・ストアには、パンやおにぎりなどの食料品から、洗剤(せんざい)、トイレット・ペーパーなどの雑貨まで、生活に必要なものはたいていそろっている。その上、24時間あいているので、いつでも必要な時間に買い物が出来る。この店ができたおかげで、夜遅く帰ってきたことでも買い物ができるようになった。
私のような一人暮らしの男性だけでなく、仕事で帰りが遅くなった女性もパック入りのおかずや弁当を買っている。この店では、毎月の電気代や電話代を払うこともできる。それに、コピー機もあるので、たいへん便利だ。
このように、コンビニエンス・ストアのおかげで生活は便利になったが、よいことばかりではない。夜、車やバイクで買い物に来る人が増えたために、うるさくて勉強ができなくなってしまった。エンジンをとめないで店に入ったり、店の外で大声でおしゃべりをしたりする人がいる。また、お菓子やアイスクリームの袋を道に捨てる人もいる。そのため、以前より道が汚くなった。
コンビニエンス・ストアを利用する人は、近所の人たちのことをよく考えてほしい。
先週の日曜日 V2修正後
物事の前後関係:あなたはこの前の日曜日にどんなことをしたか。[〜ながら]、[〜てから]、[〜たあと(で)]などの表現を使って書きなさい。
先週の日曜日
朝霞台に来て以来、毎週の日曜日に晩御飯を食べてから、新座の日本語クラスへ勉強に行くようになった。
冬に朝起きるのは、辛いことだと思う(辛いと思う)。寒いから、布団から離れたくない。先週日曜日に起きたら、ほぼ12時になった。コンピューターを立ち上げ、音楽を流した後で、お昼の準備が始まった。先週の日曜日のお昼は何を食べたのかを忘れてしまったが、とにかく、食べ終わったら、午後2時になった。日曜日は本当に短いと思っていた(「短いだと思う」だめ!)。
最近、日本語クラスで作文を勉強することになった。日本語クラスで作文のテーマを決めてから、宿題として次週の日本語クラスで先生に修正してもらう。だから、日本語クラスへ行く前に、作文を完成しなければならない。先週のテーマは「子供時代の家」だった。
日本語クラスへ出かける前に、やっと「子供時代の家」を完成した。日本語クラスに着いたら、松本先生とアイダさんもそこにいた。そして、授業が始まった。まずは、みんなでアイダさんの作文から修正した後に、私の作文も修正した。そのあと、物事の前後関係という作文技術を勉強した。最後に、宿題を決まった。——「先週の日曜日」
20時に日本語クラスの勉強が終わったあとで、家に帰った。テレビを見ながら、修正した文書を整理した。時計を見たら、12時半なった。先週の日曜日はそういうふうに過ごした。短いけれど、(「短いだけど」×)、充実した日曜日だった。(「充実していた」も○)
充実した生活。(「充実だった」×)
満足だった。
【要点:】
名詞(な形容詞)+だ。
形容詞+だ ×
例:
きれいだと思う。○
短いだと思う。×
2009年3月7日星期六
3 物事の仕組み・手順・方法
作文技術:
順序:Aして、Bする。 Aしてから、Bする。
Aする。 そのあと、Bする。
まず、Aする。次に、Bする。(そして、Cする。) それから、Dする。
場合:〜場合 〜とき(に)
その他の重要表現:
[条件]〜なら
[目的]〜ために
この図書館で本を借りるためには、利用券が必要です。利用券は、市内に住んでいる人や市内に通勤・通学している人ならだれでも作ることができます。利用券を作りたい人は、まず、図書館のカウンターで「利用申込書」をもらって、名前・住所・学校または勤務先・電話番号などを書き込んでください。そして、借りたい本といっしょに利用券をカウンターに出してください。本を返すときは、本だけをカウンターに返します。
図書館の利用時間は午前9時30分から午後7時30分までです。また、月曜日と第3日曜日、祝日は休館日です。図書館が閉まっている時間に本を返したい場合は、建物の外に「返却ポスト」がありますから、そこに入れてください。
2009年2月28日星期六
金持ち父さん、貧乏父さん ノート3
RICH DAD ,POOR DAD
金持ち父さん、貧乏父さん
ロバート・キヨサキ + シャロン・レクター
◆実践その一:まず五つの障害を乗り越えよう
1、恐怖心:お金を失うことに対する恐怖心
2、臆病風:悪いほうにばかり考えて臆病になる
3、怠け心:忙しいことを理由に怠ける
4、悪い習慣:自分への支払を後回しにする悪い習慣
5、傲慢さ:無知を隠すために傲慢になる
◆実践その二:スタートを切るための十のステップ
1、強い目的意識を持つ――精神の力
2、毎日自分で道を選ぶ――選択する力
3、友人を慎重に選ぶ――協力の力
4、新しいやり方を次々と仕入れる――速習の力
5、自分に対する支払をまずまずすませる――自制の力
自分自身のビジネスを始めるために必要な管理能力のうち、最も大切な能力は次の三つだ。
1)、キャッシュフローの管理
2)、人の管理
3)、自分の時間の管理
6、プローカーにたっぷり払う――忠告の力
7、もとはかならず取り戻す――ただでなにかを手に入れる力
8、ぜいたく品は資産に買わせる――焦点を絞ることの力
9、ヒーローを持つ――神話の力
10、教えることで得る――与えることの力
◆実践その三:具体的な行動を始めるためのヒント
1、いまやっていることをやめる
2、新しいアイディアをさがす
3、自分がやりたいと思っていることをすでにやり遂げた人を見つける
4、講座に出席する、自習用のテープを買う
5、オファー(買付申込)をたくさんする
6、ジョギング、ウオーキング、ドライブをする
7、将来の価値を見極める
8、株式を「バーゲン」で買う
9、適切な場所でさがす
10、買い手を見つけてから売り手をさがす
11、歴史から学ぶ
金持ち父さん、貧乏父さん ノート2
RICH DAD ,POOR DAD
金持ち父さん、貧乏父さん
ロバート・キヨサキ + シャロン・レクター
◆ファイナンシャル・インテリジェンス
1、会計力(ファイナンシャル:リテラシー)
2、投資力(投資とは「お金がお金を作る科学」だ)
3、市場の理解力(これは需要と供給の科学だ)
4、法律力(税法—会計、投資、市場に関する専門知識のまわりを「会社」という殻で包むと、資産を大幅に増やすのに役立つ。)
◆ファイナンシャル・インテリジェンス2
1、会計力:ファイナンシャル:リテラシー、(お金に関する読み書き能力)。数字を読む力
2、投資力:投資(お金がお金を作る科学)を理解し、戦略を立てる力。
3、市場の理解力:需要と供給の関係を理解し、チャンスをつかむ力。
4、法律力:会計や会社に関する法律、国や自治体の法律に精通していること。合法的にゲームをするのが一番だ。
◆会社を持っている金持ちは
1、稼ぐ
2、お金を使う
3、税金を払う
◆会社のために働いている人々は
1、稼ぐ
2、税金を払う
3、お金を使う
◆プロの投資家(二番目のタイプの投資家):三つの技術を伸ばす。
1、ほかの人が見過ごすチャンスを見つける技術。
2、資金を集める技術。
3、頭のいい人間を集めて組織する技術。
◆マネージメントに関してよく言われる言葉の中には、このほかにもひどいものがある。それは:
「従業員は首にならない程度に一生懸命働き、経営者は従業員が辞めない程度に給料を与える」。
2009年2月25日星期三
金持ち父さん、貧乏父さん ノート1
RICH DAD ,POOR DAD
金持ち父さん、貧乏父さん
ロバート・キヨサキ + シャロン・レクター
◆頭の中の考えがその人の人生を作る
◆破産は一時的な状態にすぎないが、貧乏はずっと続く。
◆お金のために働くのではなくお金を自分のために働かせるにはどうしたらよいかを学ぶ。
◆資産・負債
資産は私のポケットにお金を入れてくれる
負債は私のポケットからお金をとっていく
◆金持ち父さんの六つの教え
1、金持ちはお金のために働かない
2、お金の流れの読み方を学ぶ
3、自分のビジネスを持つ
4、会社を作って節税する
5、金持ちはお金を作り出す
6、お金のためではなく学ぶために働く
◆金持ちは資産を買う
貧乏人の家計は支出ばかり
中流の人間は資産と思って負債を買う
◆本当の資産とは何か?
1、自分がその場にいなくても収入を生み出すビジネス。
(もし、自分がその場にいて働かなければならないのならば、それはビジネスとは言えない。自分の仕事だ)
2、株
3、債券
4、投資信託
5、収入を生む不動産
6、手形、借用証書
7、音楽・書籍などの著作権、特許権
8、その他、価値のあるもの、収入を生み出すもの、市場価値のある部品など
◆持ち家は資産でも投資でもなく「負債」
1、ほとんどの人は完全には自分のものにならない家のために一生お金を払い続ける。
2、たとえ住宅ローンの返済の利子分を所得税の対象の所得から控除するこきたとしても、そのほかの経費は税金をとられたあとの収入から支払わなければならない。たとえローンを支払い終わったところで、その経費はかわらない。
3、固定資産税もばかにならない。
4、家の価値はつねに上がるとはかぎらない。
5、持ち家を所有することにともなう「損失」の中で最大のものは、それによって大切なチャンスが失われうのも、家にかかるお金が支出としてどんどん出て行く一方で、資産の欄には何も貯まらないからだ。
◆この5番目の「損失」についても少し説明しましょう。
1、時間を失う。ほかの「本当の資産」に投資していれば、ローンをせっせと返しているあいだにその価値が上がったかもしれない。
2、投資にまわせるはずの資本が減る。家をかったことによって、それからずっと払い続けなければならなくなる高い維持費は、本当ならほかの投資に回すことができたはずのお金だ。
3、教育を受ける機会を失う。
◆会社に勤めていて持ち家を持っている人が「働いている」という場合、それは簡単に言うと次の三つのことを意味している。
1、他人のために働く
2、政府のために働く
3、銀行のために働く
◆鏡を見て己を知る。「三つの力―刀と玉と鏡の力」
1、刀は武器の力を象徴している。
2、玉はお金の力を象徴している。
3、鏡は己を知ることの力を象徴している。
2009年2月18日星期三
あきれる
[あきれる] 中級から学ぶ
毎日利用する電車は、日本人を知るのにちょうどよい教室のようなものです。日本に来たばかりのころは、朝の満員電車にどうして我慢できるのだろうかと不思議でたまらなかったし、夜は、お酒のにおいをさせて座席で寝っているサラリーマンを見て驚いたこともありました。
この間は、きれいに化粧した若い母親が二人、三、四歳の子供を連れて乗ってきました1。子供たちは「ここ、ここ」と大声を出しながら席を取り、靴を脱ぐとすぐ、いすの上で騒ぎ始めました2。母親たちは時々「やめなさい」とか「だめよ、じっとしてなさい」と注意するのですが、本当にやめさせようという気持ちはなさそうで、自分たちも話に夢中です3。子供たちが騒ぎすぎてうるさくなると、かばんの中からお菓子やジュースを出してやります4。子供たちはそのときだけちょっと大人しくなりますが、空き缶や紙くずは片付きません。母親たちは、一生懸命話を続けています。途中で大きい荷物を持って乗ってきたお年寄りがいたのに、立とうともしないので、あきれてしまいました。
このように、日本の若い母親の中には時々子供のような人もいます。日本に来る前は、日本人は親切で礼儀ただしいと聞いていましたが、本当にそうなのでしょうか。私は日本が大好きですから、こんな母親や、こんな母親に育てられている子供たちを見ると、ちょっと心配になってくるのです。
問題:1,2は過去形、3,4はデス、マス形、統一されてないでしょうか?
2009年2月17日星期二
わかりあう
第15課 [わかりあう] 「中級から学ぶ」
「旅の恥はかき捨て」ということわざがある。旅に出たら少々のことは許されるという意味だ。昔の日本では旅に出ることは非常に困難なことだった。多くの人は生まれた土地を離れられず、死ぬまで限られた所に住み、その上、厳しい上下関係の中で生きていた。旅はその定められた枠出られる、ただ一つの機会だったわけだ。それで、旅に出たら少しぐらいの自由は許されてもよいと考えたのだろう。
無礼講という言葉もある。古くから使われている表現で、現在でも「今日は無礼講で…」と言われれば、会議の席でも個人的な集まりでも、そのときだけは相手は自分より目上か目下かなどを忘れ、少しぐらいの失礼があっても気にせず自分の意見を述べることができる。しかしこのときが過ぎれば、また厳しい上下関係に戻らなければならない。しっかりと決められた社会の枠が長く壊れずに続いてきたのは、無礼講のような息抜きがこれを支えてきたからなのだろう。
現代の日本では、社会全体としての上下関係はほとんどなくなったように見える。とはいうものの、昔とはまた違った集団の秩序がしっかりと出来上がっている。その一つが会社である。会社のなかでは相変わらず社長、部長、課長、平社員という身分にしたがって縦の関係が厳しく守られ、それを乱そうとする者はあまりいない。ところが会社とかかわりのある人間関係は気にかけるのに、それ以外の人に対しては無関心であることも多い。電車の中で、お年寄りが立っていても気付かないふりをしておきながら、会社の上司や取引先の人が乗ってくると、慌てて席を譲ったりすることさえある。このような態度は「ウチ」と「ソト」という関係から説明できる。自分の属している会社、自分の利益に直接かかわるグループを「ウチ」といい、「ウチ」の者に対しては規律正しくその秩序を守るようにする。一方、「ソト」に対しては「ウチ」に対するほどの関心を持たない。
外国人のことをよく「外人」というが、これもやはり同じような意識から出た言葉だろう。何年日本に住んでいようと、日本人より日本的であろうと、いつまでも「外人」圧かされるという嘆きを聞いたことがある。「日本人は確かに大変丁寧だが、ただしそれはお客様に対する丁寧さであることは明らかで、自分たちの社会に受け入れて、理解し合おうとは、決してしてくれない」という嘆きだ。「よそ者」というわけである。このように「ソト」の者をなかなか「ウチ」へいれようとしないのは、そうすることでしっかり作り上げられた「ウチ」社会を壊すまいとしているからなのだろう。
これは日本だけのことだろうか。
2009年2月15日星期日
先週の日曜日 V1
物事の前後関係:あなたはこの前の日曜日にどんなことをしたか。[〜ながら]、[〜てから]、[〜たあと(で)]などの表現を使って書きなさい。
先週の日曜日
朝霞台に来て以来、毎週の日曜日に晩御飯を食べてから、新座の日本語クラブへ勉強に行くようになった。
冬に朝起きるのは、辛いだと思う。寒いから、布団から離れたくない。起きたら、ほぼ12時になった。コンピューターを立ち上げ、音楽を流した後で、お昼の準備が始まった。先週の日曜日のお昼は何を食べたのかを忘れてしまったが、とにかく、食べ終わったら、午後2時になった。日曜日は本当に短いだと思っていた。
最近、日本語クラブで作文を勉強することになった。日本語クラブで作文のテーマを決めてから、宿題として次週の日本語クラブで先生に修正してもらう。だから、日本語クラブへ行く前に、作文を完成しなければならない。先週のテーマは「子供時代の家」だった。
日本語クラブへ出かける前に、やっと「子供時代の家」を完成した。日本語クラブに着いたら、松本先生とアイダさんもそこにいた。そして、授業が始まった。まずは、みんなでアイダさんの作文から修正した後に、私の作文も修正した。そのあと、物事の前後関係という作文技術を勉強した。最後に、宿題を決まった。——「先週の日曜日」
20時に日本語クラブの勉強が終わったあとで、家に帰った。テレビを見ながら、修正した文書を整理した。時計を見たら、12時半なった。先週の日曜日はそういうふうに過ごした。短いだけど、充実だった。