2010年12月15日星期三

2010年12月16日(木)付 语感屁歌

2010年12月16日(木)付 语感屁歌
 日本語の「わんわん」と「にゃあ」は、海を渡ると「バウワウ」「ミュウ」になる。母語にどっぷりつかっていると、犬や猫の鳴き声は画一的になりがちだ。実際には一匹として同じ声はないし、聞こえ方も人それぞれだろう▼

日语的"WANWAN"和"NYA",过了大海就变成了"BAUWAU","MYU"。如果完全的使用母语,狗啊猫啊的叫声就往往出奇的一致。事实上就算一只声音也不尽相同,听到的方式也是因人而异吧。

谷川俊太郎さんに「おならうた」という愉快な詩がある。〈いもくって ぶ/くりくって ぼ/すかして へ/ごめんよ ば/おふろで ぽ/こっそり す/あわてて ぷ/ふたりで ぴょ〉。豊かな「音色」は、詩人が母語の常識から解き放たれ、心の耳で遊んだ産物だ▼

谷川俊太郎有一首愉快的诗《屁歌》。"吃地瓜 卟/吃栗子 乓/空着肚子 嗨/泡澡盆中 嚗/不好意思 叭/偷偷地 嘶/慌忙地 噗/二个人地 轰"。 丰富的音色,是诗人从母语的常识中解放出来,用心灵之耳游历的产物。

擬音語に限らず、何かを伝える前には言葉を選ぶ作業がある。とりわけプロポーズや面接のような勝負時、私たちは知る限りの言い回しから、思いと常識が折り合う言葉を絞り込む▼

不局限于拟声词,要表达什么之前都要经过语言选择的作业。特别是求婚啊面试这样的关键时刻,我们都尽所能巧妙的表达,挑选感觉和常识折中的词语。

適切な表現にたどりつくには、意味と語感の二つの道があるという。意味には字引という案内人がいるが、語感には道しるべもなかった。近刊『日本語 語感の辞典』(岩波書店)の著者中村明さんが、先頃の読書面で出版を思い立った理由をそのように語っていた▼

为了达到适当的表现,存在意思和语感这两种方法。对于意思有字典这位带路人,但是语感却没有向导。最近的刊物《日本语 语感的词典》(岩波书店)的作者中村明先生,在前几天的读书会面上谈到想出版的理由的时候曾这样说到。

「言葉を選ぶ時に多くの表現が思い浮かぶのは、ものの見方が細やかということです。ものの見方を磨かないと、表現は増えません」。中村さんの指摘は、言葉を生業(なりわい)とする者すべてに重い▼

"在选择语言的时候浮想起很多表达方式,说明看问题的很细腻。如果不磨练看问题的方法,表达方式也不会增加。"中村的指摘,对于所有以语言为职业的人来讲是重要的。

己の仕事は棚に上げて、政治家の「語勘」を問いたい。弁舌のプロらしからぬ「暴力装置」「仮免許」「甘受」。思いが口をついたにせよ、いくらでも言いようがあった。これしきの語感力では、誰のどのおならも〈ぶ〉でしかない。磨くべし。

自己的工作向放到一边,想责问一下政治家的"语言能力"。口才不专业的"暴力装置""临时驾照""甘受"。虽说是话到嘴边随便一说,但表达方式要多少有多少。这么一点点语感能力,不论谁的什么屁都只知道"卟"。真该好好磨练一下。
※ 日语「語勘」和「語感」同音
※ 口を突いた言葉。意味は、「とっさに出た言葉」。/情急之下未加思索的话

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