2010年12月19日星期日

2010年12月20日(月)付 古座事件 怒焰不减

2010年12月20日(月)付 古座事件 怒焰不减
 東京で読んだ本紙夕刊に、沖縄生まれの若い歌人、屋良健一郎さんの歌があった。「コザ暴動あるいはコザ騒動」と題した連作から一首を引くと、〈モノクロの写真の街は白く燃ゆ コザの暴力美(は)しかりにけむ〉▼

 在东京读到的本报纸的晚报中,有一首冲绳出生的青年诗人,屋良健一郎的诗。从以"古座暴动或者古座骚动"为题的连篇中引用的一首,"黑白照片的街道燃如白昼 古座的暴力美已然如烟"
※<街道本无色,黑白照片般,熊熊一把火,照亮半边天。Koza暴动美,尽在烟雾间>

何千人もの群衆が80台を超す米兵らの車両を焼き払った。沖縄戦後史に刻まれるコザの出来事は40年前のきょう、12月20日未明に起きた。積もりに積もった怒りの爆発だった。さらに一首引かせてもらうと、〈植民地(コロニー)の冬夜の空をねじらせて米軍車より直(す)ぐ起(た)つ炎〉▼

几千人的群众烧毁了80多台的美国大兵的车辆。镌刻在冲绳战后史的古座事件发生在40年前的今天,12月20日的黎明。这是沉积下来的愤怒的爆发。再让我引用一首,"从美国军车上穿起的火焰,扭曲了殖民地(Colony)冬夜的天空"
※ <冬夜笼罩殖民地,分外黑暗黎明前,民愤点燃一把火,美军汽车起烈焰>

時のコザ市長は大山朝常(ちょうじょう)さんだった。炎をにらみながら、「沖縄の怨念が燃えている」とうめいた言葉が伝説のように伝わる。晩年にお会いしたとき、「それは米軍の圧政への怨念ですね」と尋ねたことがある▼

当时的古座市长是大山朝常先生。他一边凝视着火焰,一边嘟囔道的"冲绳的怨恨燃烧着"这句话,就像传说一样流传着。晚年时见到他的时候,曾经这样问过他"那是对美军压政的怨恨吧"

すると哀れむような目を向けて黙り込んだ。沈黙の間に、気づかざるをえなかった。怨念の炎の中に大山さんが見ていたのは、アメリカではなくて日本(ヤマト)ではなかったか――。対日講和条約で沖縄は切り捨てられ、きびしい戦後を強いられてきた▼

结果他哀伤的目光陷入的沉思之中,沉默之间,不由感到。--怨恨的烈火之中大山先生看到的,不是美国也不是大和的日本。对日和平条约中冲绳被抛弃,在严酷的战后中勉强的走到今天。

暴動、騒動、民衆蜂起など、コザの出来事は様々に呼ばれてきた。「暴動」は日米の側から見た名称であろう。同じように、沖縄で菅首相が語った「辺野古移設がベター」は、地元にとっては政府の論理に他なるまい▼

暴动,骚动,民众蜂起等,古座事件有着各种各样的叫法。"暴动"是日美这眼中的名称吧。同样,在冲绳菅首相说到的"边野古移设比较好",对于当地人来说仅仅是政府的逻辑而已。

屋良さんは東大大学院で、16~17世紀の薩摩と琉球の関係を研究している。「今の状況はそれ以来の歴史の凝縮です」と言う。根ざす所は深い。40年間に怒りのマグマが減じてはいないことを、ヤマトは知る必要がある。

屋良在东大大学院研究16到17世纪萨摩和琉球的关系。他说"现在的状况是从那时开始的历史的浓缩"。可谓根深蒂固。大和是有必要知道,40年的愤怒的岩浆依然未曾减少。


※根ざす所は深い:根深蒂固
※怒りのマグマ:愤怒的岩浆

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